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お笑いの「芸」とは?

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(絵は私が描いたもので、本文とは関係ありません)

なんだか、ここ最近ずっと思っていた「お笑い」の『芸』に対する違和感を、自分の内で整理するためにも文章に起こしてみようと思う。

最初に言っておくが、私はお笑い芸人ではない。



最近の芸人の「お笑い」の手法について、端的に言うなら「クスグリ」ということになるのだろう。

芸人から「芸」を拭い去り、素の部分に及んで下手を打たせ、笑いにするやり方である。

この手の手法はどう転んでも成立する。


私はこれを芸と呼ばないことにしているが、ここまで蔓延すると、漫才やコントなど、形式のある芸というものが通じなくなってしまっているのかもしれない。

しゃべりと、漫才・コントは違うから、というのはもっともなのだが、これについては前者のしゃべり、これは芸ではないという事をキチンとわかっていない人が多い。

そもそもお笑いの芸としてのしゃべりというのは”型の下でない限り”芸とは言わない。

「あの芸人面白いんだけどしゃべりがなぁ」と言うのは、この辺の整理がついてないから。

もちろん、しゃべりにも間合いやツッコミ、組み立て等の技術が必要であることだろう。しかしそれらは、型の下になければ芸とは言わない。

単に上手いことを言い合うコミュニケーションなのだ。

一言二言で、たちまち誰とでも仲良くなってしまうような人がいるが、これは即座に相手との間合いを図り、興味を探り、迎合しながら、隙を見せたり、あるいはコチラの方からツッツいて間合いを縮めるわけである。

これらはコミュニケーション能力であって、芸ではない。


この辺の整理がつかない芸人気取りは、芸人以外の人たちを素人さん呼ばわりをするが、私はいつも違和感がある。

芸人たちは、ある程度いじりの耐性があるという共通性をもち、その意味では直接会ったことのない芸人同士であっても、同じコミュニティに属しているのであって、相応の関係性がある。

それに対し、うまく話せない人については、これは単純に関係性ができていないのと、場慣れしていないからでしかないはずだ。

芸人が、時にそういう人たちについて「素人」だと区別してアレコレ言うのは、それこそ、芸を語る以前の品のない行為だと思う。

しかし、同様に「素人」が、芸人のしゃべりについて「面白くない」等と口出すのもおかしい。

おしゃべりであるのなら、やはり、それについて言及されているのは芸ではないから。



しかし今や、このようなやり方に芸と名がつくまでになった。別の言い方をすれば芸がフランクなものになった。

イジリはイジリ芸として、しゃべりはしゃべり芸として、ある種、型もどきのようなものまでできあがっている。

しかし、どちらの芸?にしても、決して芸人だけのものではなく、やはりコミュニケーション能力だといえる。

今日におけるお笑いに特化した間合の「しゃべり」はテレビの芸人の影響はあるにしても、その要領は芸人として修行しなければ得られないものでもない。

感覚が良い人なら、そのエッセンスは容易に取り入れられるはずだろう。


今日の「クスグリ」のお笑いでは、その核心は「拾い」になる。

「拾い」とは(私が勝手に言っているだけだが)、クスグリで下手を打った後の『処理』のこと。

型があやふやであるから、何かしらの型にハマれば、よし。ハマらなくとも「拾い」によって処理してしまう。

現在ではむしろコチラを好むような状態になっていて「拾い」の種類ばかりが多くなり、今では拾い方で競う始末だ。

仮に「拾い」が失敗しても「拾い直し」のやり方がある。

笑いが起きないないなら、その緊張を利用して"認めてしまう"という素の「バラし」(これも私が勝手に言っているだけ)の手法までが出来上がり、まさに、どう失敗したって成立してしまうのである。


一発ギャグなどというものも、「拾い」や「バラし」があってのものになっているが、これらの手法は基本的に奥の手でなければならない。

これは、現代アートや音楽の分野でも同じことがいえる。

現代アートにおいては、まさになんでもありの状態で「アート」と言葉を添えれば成立してしまう。

こうした「なんでもあり」のやり方は、芸として最も下品で卑しいものと、古くから言われていたことを知らないのだろう。


これを芸と呼ぶことは、却って芸人の品格を貶めていることになっていると私は思うのだが、最近のこの種のお笑いばかり見ていると、芸がなんたるか問うた芸人はほとんどいないように感じられるし、そのような芸人たちはこのような考え自体、古いと言って受け付けもしないのだろう。

まさに現代が、型のお笑いを捨ててしまったのかもしれない。


ここまで言っておいてなんだが、かくいう私も、流行のお笑いは大好きなのだ。

型のないお笑いは、本記事の言い方で言えば「コミュニケーションの上手な人たちのおしゃべり」であるから、観ていて十分面白い。

ただ、それを考えもなしに芸と言ってほしくない、と思っているのである。


芸に対して相応の考えがあってほしいのだ。芸人の側からすれば、諸事情・反論はあるだろう。

それらの反論にそれ相応の哲学があれば、何も文句はない。

肯定にも否定にも、立派な考え方は宿ると私は思っているから。

現にこうして、この種のお笑いが主流になっているのも、辿れば、この種のお笑いに哲学をもって励んできた芸人たちが必死に作り上げてきたもののはずだ。


悲しいことに現代においては、哲学めいたものが、どこか鬱陶しく思われる傾向にある。

クスグリが主流のお笑い界において、哲学をもった芸人はどれほどいるのだろうか?

これから先のお笑いがどうなるのか?

それこそ、哲学をもたない者には、何も掴めやしないことだろう。



重ねて申し添えておきますが、私はお笑い芸人ではない。


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